ソフトボールを始めたきっかけと恩師について✨

みなさんこんにちは☀️
今日からブログリレーを再開し、3周目突入しました!!
今回トップバッターを務めるのは、#23.鎌田優希です💪
みんなの頼れるキャプテン、古澤さんからバトンが回ってきました!!

今回はソフトボールを始めたきっかけと、恩師について紹介したいと思います✨
以前のブログで、私は小学生の頃はバレーボールをやっていたと紹介しましたが、ソフトボールを始めたのは中学の時からです🥎
小学生の時から、バレーボールをしながらも、野球をやっていた父と弟の影響で、キャッチボールをしたり、バッティングセンターに行ったりと、遊び程度にソフトボールには関わっていたので、好きなスポーツの1つでした。
中学に上がるときに、バレーを続けるかソフトボールに転向するかで迷っていましたが、そんな時に福岡市内(私の出身地)に「新しくソフトボールのクラブチームができる」という情報を聞いて、思い切って体験に行ってみよう!と思いました。
そして出会ったチームが、
「福岡RED DREAMS」です🔴
いざ体験に行ってみると、チームメイトは私以外全員、小学生の時からソフトボールの経験者であり、元気が良く、すごく上手だなと思ったのを覚えています。
理由は他にも沢山ありましたが、スポーツを続けるからにはトップを目指したい!という思いが強く、このレベルが高いところでソフトボールに思い切って挑戦してみよう!という気持ちになり、ソフトボールを始めました🥎!
そしてそこでチームの監督であり恩師でもある
内藤和英監督に出会いました✨

そしてソフトボールを始めた私でしたが、最初は経験者であるみんなのレベルに追いつくのに必死でした。
チームでの練習は土日だけだったので、平日はお父さんを始め、家族の力を沢山借りて自主練習に打ち込みました。
そんな私に、内藤監督は1からソフトボールを教えてくれました。
技術面はもちろんですが、中学3年間を通して、自分で考えて行動する大切さや、人として大切なことを沢山教えてもらいました。
監督は、何に対しても強く「こうしろ」というのではなく、ヒントを与えつつ、自分自身で考えさせる力を大事にしてた気がします。
3年生の時には、私はキャプテンになったのですが、不甲斐なくて監督にキャプテンを降ろされたことがありました。笑
その時は辛くて悔しい思いも沢山しましたが、そんな経験もあって、人として成長させてくれたから今があると思います。

また、内藤監督は、なんと実は元・豊田自動織機所属でオリンピックにも2度出場している内藤恵美選手のお兄さんでもあります✨

そのため、恵美選手を始め、織機の選手にはチームに何度か教えてきてもらって、その度に実業団に憧れて、夢を与えてもらってました✨
鉄壁のショートだった恵美さんは今でも憧れの人です😊
そして最後の全国大会では準優勝🥈
喜びと悔しさと、どちらもありましたが、何よりこのチームでこのチームメイトと、この監督のもとでプレーできたことは宝物であり、本当に感謝してます🥰

今でも帰省した時は監督に会いに行き、話すたびに「また頑張ろう」という気持ちにさせてもらっています💪
今後はもっと活躍して監督に恩返しすることと、恵美さんがしてくれたように、レッドドリームズの後輩に少しでも夢を与えられることができればいいなと思います。
ちなみに、監督は福岡で居酒屋「楽家(たのしや)」というお店をやってます!
どの料理も絶品で、もつ鍋は全国へ宅配注文もありますよ♪
福岡にお越しの際はぜひ、行ってみてくださいね♪♪

長くなりましたが、読んでくれてありがとうございました😊

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